三重県の亀山駅から和歌山県の和歌山市駅まで、紀伊半島をぐるりと回るように結ぶ紀勢本線。その距離は384.2kmにもおよび、東京〜名古屋の距離プラスアルファぐらいの長さになる。
紀勢本線を完乗したのは16年前。その時は和歌山市に前泊、そこから鈍行で亀山まで周り、名古屋からムーンライトながらで帰郷するという日程。有難いことに同行した友人の一人が記事にしておいてくれており、リンクがまだ生きているので、詳細についてはそちらに譲ることにする(http://blog.livedoor.jp/regolog/archives/18516855.html)。ただ、自分の手元にも記録を残しておくべく、友人の記事を読んで記憶を呼び起こしながら簡単にまとめておく。
1日目(東京〜和歌山市)
この日は和歌山市に当日中にたどり着くのが最終目標。せっかくなので中央線経由で行くことにした。青春18切符を使用するので、ボトルネックとなるのは塩尻〜中津川のダイヤ。これに合わせて、立川6:43発の列車で出発することにした。ここではドア横の2人掛け席を確保し、寝ていた記憶がある。この当時の私は、電車に乗れば条件反射的に睡魔が襲ってきてしまう困った仕様だったので、電車の中の記憶は殆どない。甲府で乗り継いだ電車ではずっと立っていたようだが、よく2時間も立っていられたものだ。なんでも、諏訪湖の花火大会とかぶっていたようで、混雑に拍車をかけていたように思われる。この時の臨時には何が使われていたのだろうか。
塩尻では中央西線に乗り換え。10時50分発の中津川行きの乗り換える予定だった。だが、青春18切符シーズン、313系の2両編成ともなれば車内は激混み状態であり、停車している列車を一目見ただけで後続の特急しなのに乗ることを決意。乗車券と特急券を買い、中津川までワープすることにした。

しばらく待ってやってきた特急しなの8号、自由席はすでに満席の状態でやってきた。383系の名古屋方の先頭車両は展望できるデッキとなっていたため、ここで窮屈な姿勢になりながら前面展望して過ごした。ここの1時間はかなりしんどかった。
中津川からは快速の本数が増えるため、ここで特急を下車。ガラガラの211系に乗車して名古屋駅に向かった。ここでようやく一息つけたわけである。特急でワープしたので少し時間的に余裕が出たため、名古屋駅で昼食をとって米原に向かった。

米原からは新快速で大阪に向かう。ただ、なんとなくその工程に面白みを感じなかった我々は、大津で下車。ここから徒歩で上栄町駅(京阪京津線)に出た。しばらく浜大津周辺で乗り鉄をし、そのまま地下鉄経由で京都駅に出た。
京都に着いたのは19時ごろ。休み期間ではあるが、時間的にはすでにラッシュを迎えている。新快速に乗るのも面倒だなあと感じていたところ、特急はるかにのれば東海道貨物線+梅田貨物線を経由して、西九条に出られることを思いつき、またもや特急に課金。ただ、景色はもう真っ暗で、何も見えなかった。梅田貨物線はすでにルートを変えて地下に潜ったので、これが最初で最後の景色だった。
西九条からは阪神線で難波へ出て、難波からは南海電鉄のラピートにて南下することにした。

20時30分発のラピートβ。この時はスーパーシートに課金していた。素直に青春18切符で済ませていれば持ち出し0円で済んだはずなのに、至る所で課金している。もはやJRですらなく、大津から青春18切符を全く使用していない始末。自分の気まぐれ発言と、乗りやすい友人が拍車をかけたせいだと思われる。

終点の関西空港。記憶では、まだ22時頃の東京行きの便が残っている状態で、「こんな時間からでも東京に帰れるんだ」と驚いた記憶があり。2009年といえば、ちょうど飛行機に染まり始めた頃だった。
関西空港からは、南海電鉄の普通列車を乗り継いで和歌山に向かった。ここでJRに復帰を試みるも、目的地が和歌山市なだけに接続が悪く、最後まで南海にお世話になることになった。普通列車だとかなり時間がかかり、泉佐野から和歌山まで30分以上。景色も見えないし、結構しんどかった。そんなこんなで和歌山市に到着したのは22時30分ごろだった。
(続く)
コメント