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南東北をぐるりと一周旅:ひたちなか海浜鉄道

東京〜大宮〜郡山〜いわき〜勝田とやってきた。

勝田駅で降りたのは、ひたちなか海浜鉄道に乗り換えるためである。今回は土日きっぷを使用していたため、JR以外のこういった私鉄にも乗ることができる。この時期に話題となった150周年記念切符には無いメリットである。いわきから南下している最中に時刻を調べると、ちょうど接続が良かったので立ち寄ってみることにした(日中は約40分おき)。

ひたちなか海浜鉄道の乗り場は、JRホームの一部を切り欠いて設置されている。単独の改札口はなく、完全にJR駅構内に含まれる形。先ほど降り立った上野方面の乗り場を先頭の方に歩いて行くと、1番線「湊線」の案内が見えてきた。ひたちなか海浜鉄道の名をよく聞くような気がするが、路線名は湊線というのか。

こちらが中間改札。JRから乗り換える場合は、ここでSuicaをタッチしてダイレクトに乗り換えることができるようになっている。細長いホームに多くの人が並んでいるのが見える。

ちょうどひたち海浜公園のコキアが見頃の時期で、このような案内が出ていた。ひたち海浜公園へのアクセスは、勝田駅からの直通バスの方が利便性が高いように思うが、こちらは「鉄道を使うルートだとコキアの見える場所に一番近い出入り口に着けるよ」というのがアピールされている。(よく読まないと伝わらないアピールなのが残念だが)

発車の5分前に列車が到着。大量の乗客を降ろし、それが済むとホーム上に並んでいた客を順番に乗せていく。一連が終わるまでホームの端っこで待っていた。

車両はキハ11-5ということで、JR東海で運用されていたもの。キハ11形といえば高山本線でよく見た車両だ。

内装はこのような感じ。中央部には4人席のボックスシートが並んでいる。ひたちなか海浜鉄道は14.3kmの短い路線ながらさまざまな車両が走っており、車両によって内装が異なるほか、一部にはロングシートの列車もある。車両運用については、週末についてのみ公式HPに掲載されている。

ひたちなか市は干し芋の生産量が日本一らしく、それにちなんだ内装となっている。吊り革には干し芋が飾られていた。そういえば車体が何かのラッピングとなっていたが、干し芋にちなんだものだったようだ。(HKのロゴ=Hishiimo Kingdom)

勝田駅の駅名標。日の出や電車を表す絵が入ったデザインになっている。

その他の駅名についても同様に、その駅を表す絵柄を使ったデザインが施されている。

さて、乗車した列車は11時17分に発車。立ち客も多く、レジャー客で賑わっていた。幸いにも一番後ろが空いていたため、後方展望しながら過ごすことにした。

勝田駅を出ると東寄りに進路を変えながら常磐線と別れる。その後は、真っ直ぐに伸びる線路と畑が目立つ景色となった。

15分ほどで、主要駅の那珂湊駅に到着。入線時には車庫が見え、様々な形式の車両を見ることができる。中にはレトロな車両も混じっていた。

那珂湊駅の全景。こちらで乗客の半数ほどが降りていった。コキアを目的とした乗客がほとんどかと思いきや、そればかりではないようだ。帰りの車中で調べて知ったことだが、那珂湊駅の周辺が観光名所ともなっているほか、水族館のある大洗にも近い距離に位置しているため、こちらの駅を目的とする観光客が多いのも頷ける。これを予め知っていたら、この後の行程も変わっていたのだが、仕方がない。

那珂湊駅から先は、住宅街の間を通って終点の阿字ヶ浦駅まで走った。

阿字ヶ浦駅に到着。勝田駅からの所要時間は28分。

阿字ヶ浦駅の外観など。色々と気になるものが止まっているので、折り返しの列車に乗る前に見てみよう。

帰りは12時05分発。折り返し時間が20分あるので、少し駅周辺を散策することにした。ちなみに列車に接続して海浜公園行きのバスが止まっており、座席いっぱいの乗客を乗せていた。

駅前の道を少し進んだところに堀出神社を見つけたので、こちらにお参りした。

境内の中には「ほしいも神社」が建立されていた。干し芋生産の盛んな地域にちなんで令和元年に建立された、新しい神社のようである。「ほしいも の」が総て手に入るようにという意味も込められているらしい。

干し芋産業の普及に尽力された、創始者の銅像も建てられていた。ひたちなか市で干し芋の生産が盛んなことは、ここを訪れて初めて知ることとなった。

神社を出たところでふと横に目をやると海が広がっていた。夏は海水浴で賑わうのだろう。

10分前ぐらいに駅に戻り、発車まで色々と見て回ることにした。

駅に掲出の時刻表。1時間に1〜2本程度が確保されている。

駅舎を通り抜けたところで、右側に鳥居と車両が見える。数年前に現役引退したキハ222形を御神体として祀った鉄道神社であり、鳥居もレールで作製されている。キハ222形について調べると、1962年に製造されて羽幌炭鉱鉄道の車両として運用されていたことが出てくる。つい最近まで現役だったことが信じられないぐらいの昔の車両。

綺麗に塗装されている。現役の頃はこのような列車が北の大地を走っていたと想像するだけでワクワクする。

連結されていた車両はキハ2005形で、こちらもキハ222形に匹敵する年季の入った車両。

この先、ひたち海浜公園への延伸も計画されている。ひたち海浜公園の利用客は多く、また鉄道が最寄駅に直結するということの宣伝効果もあると思われるので、勝田駅から少々遠回りする不利な面はあるものの、一定の需要は見込めそう。また、ホームが異常に長いのだが、(三国港と同じく)国鉄からの列車の乗り入れなどしていたのだろうか。

帰りの車内は、阿字ヶ浦出発時点ではかなり余裕があったので、ロングシート部に腰掛けてこの後の行程を調べながら過ごした。那珂湊駅で下車して昼食を食べるプランを思いついた頃にはとうに那珂湊駅を過ぎていた。

そのまま勝田駅に帰還。次の水戸行きまで少し時間があったので、一度外に出てみた。コンコースなども明るい雰囲気であったが、駅舎もガラス張りとなっており、開放感がある。

駅構内に戻り、水戸駅まで一駅乗車する。ここでもやってきたのはE501系。これまでE501系をよく目にするが、E501系とE531系、運用はどちらの方が多いのだろうか。

水戸駅に到着。

水戸といったら水戸黄門。駅前に3人の像が立っていた。

駅前の観察をしたら、そそくさとホームに戻った。

水郡線ホーム、4両繋いだE130系が停車していた。行き先表示には郡山と常陸大子が併記されているが、常陸大子で切り離すのだろうか。久々に水郡線に乗るのもアリだったが、今回はこちらには乗らず、別のホームへ移動した。

(続く)

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