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2022年1月:元西武の新101系との再会のため流鉄へ

きっかけは何だったかはっきり覚えていない。おそらく2022年の頭に西武の2000系を乗った時に、ふと「久々に西武の昔の車両に乗りたい」などと思ったんだろう。西武池袋線の沿線で生まれ育った身としては、数を減らしていく2000系に乗りながら、同時にその前の車両のことを懐かしんでいたに違いない。

西武池袋線にて自分の知る一番古い電車は101系。101系こそもう乗れなくなっているが(←おそらく)、新101系は全国各地で第二の人生を送っており、その一つに関東の近場を走る流鉄がある。流鉄自体、乗ったことがない路線なので、この機に行くことにした。(西武多摩川線あたりに行けば普通に乗れるのでは、というツッコミは無しの方向で笑。せっかくなら未乗路線に行きたいではないですか)

流鉄は千葉県の馬橋駅(松戸市)と流山駅(流山市)を結ぶ、5.7kmの短い路線である。路線図を見ると、馬橋駅でJR常磐線と接続しており、そこから盲腸線のように伸びている。そこで、まずは常磐線で馬橋駅へ向かった。

馬橋駅には常磐快速線が止まらないため、手前の松戸駅で緩行線に乗り換える。緩行線の千代田線方面の線路の向こうは新京成電鉄。色々とお世話になっていた幼き頃はブラウンの塗装だったが、現在はコーポレートカラーの変更に合わせてジェントルピンクを配色したデザインとなっている。久しく見ていないうちに、少し垢抜けたような感じになっている。

馬橋駅までは松戸駅から2駅。乗車してきた車両はこちらの16000形。千代田線のカラーも常磐線のカラーも似ているので、全く違和感がない。

上野方面への常磐快速線が通過していく。その向こうに見えるホームが、これから乗車する流山線の発着するところ。よく数えると常磐快速線の線路が3本あるように見えるが、武蔵野線との連絡線があるため。

馬橋駅の西口。駅にくっついてショッピングモールがある他は、静かな住宅街といった感じ。商店街などがあるのは逆側の出口だろうか。

駅前を観察したら、再び駅舎に戻った。JRの馬橋駅の駅名標があるが、その先に、流山線乗り場への案内が遠慮気味に掲げられていた。

階段の途中に時刻表。流山線のダイヤを把握せずここまで来たが、日中は20分おき、朝夕ラッシュも基本的に15分おきと、想像以上に本数が少ない。交換できる駅が一駅しかない(馬橋駅から5分程度)ので、頑張っても12分おきが限界といったところか。

流山線ではSuicaやPASMOの類が使えず、各駅で切符を購入する方式となっている。他線乗り入れもなく、馬橋駅の改札もJRから独立しているので、特に問題はないと思われる。ただ、切符を買っていたがために20分に1本の電車を逃したとなれば、やりきれない気持ちになりそうだ。

こちらの改札を通り、ホームに入る。1面2線のこじんまりとした乗り場。

馬橋駅の駅名標。全6駅しかない、短い路線。全線乗り通すのに12分しかかからない。

木造屋根がなんとも趣深い。100年以上前に開業しているが、果たして当時のままなのだろうか。

乗車位置のステッカーには、現在運用されている5編成の前面が描かれている。

電車が来るまでの残りの時間は、通過していく常磐線の観察。E531系が駆け抜けていった。

発車の5分程度前に、北の方(常磐線で言うと柏の方)から、電車がゆっくりと入線してきた。なんとも懐かしい電車である。オレンジとブルーで彩られた編成で、「流星」の愛称が付けられている。西武線にいた頃は最後まで字幕式だったように記憶しており、流鉄に来たときにLEDとなったようだ。

外見は流鉄カラーになっているが、中は西武線時代の雰囲気とほぼ同じであった。3ドアならではの長椅子が特徴で、西武線時代は4ドア車に比べて座席を確保しやすく、中高の部活帰りなどでは寝られる車両として好んでいた。

流山線の路線図。構内複線になっているところなども表現されている。

出発の時間となるとドアが静かに閉まり、発車した。ドアの開閉音、出発時に聞こえるブレーキの緩解音、そして走り出す時のきしみ音。一気に”あの頃の”新101系が戻ってきた感覚だった。速度は出ないので、豪快にうねるモーター音こそ聞けないものの、一つ一つの所作が新101系のままであることにいちいち感動していた。

常磐線とほぼ並走したまま、次の幸谷駅に到着した。新松戸駅と隣接しており、武蔵野線ユーザーならばこちらで乗り換え流が便利のようである。

小金城趾駅では、黄色の編成「なの花」と交換。より西武線に近いカラーリング。あちらはヘッドマークが掲載されている。

相変わらずトコトコとゆっくりした歩を続け、すぐさま終点の流山駅に到着した。

流山駅での向かい側には、ピンク色の編成「さくら」が停車していた。おそらく、停泊しているだけだと思われる。

流山駅。駅名の看板の字体が特徴的な、こじんまりとした駅舎。改札口の奥に発車する電車の待ち構えている姿が見えるところが趣深い。

流鉄は開業100周年・・・というのは6年前の話。現在運用されている5000形(元西武の新101系)の一代前の3000形(元西武の101形)までの歴代車両が描かれている。

駅前の様子。流山市はそれなりに人口も多く、また流山市役所も流山駅の近くになるため、それなりのマンション街などを想像していたのだが、その予想とは全く異なるものであった。

駅の南側には跨線橋があり、その上から駅構内と、その奥の検車区が見渡せる。

跨線橋から反対側には、次の電車がやってくるのが見えた。その電車の折り返しで帰ることにした。ちなみに、跨線橋を渡ってしばらく行くと、つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅付近に出られる。歩いて20分ぐらいだろうか。同じ電車で乗り鉄をしていた親子が、そちらに出るかどうか悩んでいた。

帰りの電車は、先ほど小金城趾駅で交換した「なの花」。土休日ダイヤは基本的に2編成で運用されているようだ。正月用のヘッドマークが出ていて、「ワンマン」表示だった幕は「賀正」となっていた。

この編成、後ろには色違いの「あかぎ」編成が連結されている。すなわち、違う塗装同士で2両編成となっているのである。誰が思いついたのか、その色合いから「オムライス」との愛称がある。一部のファンが呼んでいるだけかと思いきや、流鉄のホームページでも普通に「オムライス電車」とされていた。

帰りは途中駅の鰭ヶ崎駅で下車した。途中駅にも駅員が配置されており、電車が到着するたびに駅員が出てきて切符を回収するシステムだった。(実際には切符を直接受け取るわけではなく、表面が見えるように指定された場所に置いていくことになっていた)

鰭ヶ崎駅で降りたのは、ここから南流山駅に出られるため。道を間違えなければ、10分程度で駅まで辿り着くことができる。流鉄流山線が盲腸線なので、単純な往復は避けたいと思っていたところ、このルートに行き着いた。先述した流山セントラルパーク駅に出る手もあったが、こちらの方が流山線の途中駅を観察できる上に、歩く距離が短い。

JR南流山駅。つくばエクスプレスの南流山駅は地下に潜るので、乗り換え時間はもう少し見ておいた方が良さそう。

ちょうど運よく快速が来たため、南流山駅からは一駅で北千住。これまでののんびりとした走行から打って変わり、目の覚めるような俊足ぶり。北千住で降りた方が早く家に帰れるし、JRへの乗り換えも楽なのだが、なんとなくそのまま秋葉原まで乗ってしまった。

流鉄流山線の乗車記は以上で終了。往年の名車である西武の新101系、未乗区間の残っている路線である近江鉄道、上信電鉄、秩父鉄道などでも乗れるので、廃車とならないうちに乗りに行きたいところです。

(おしまい)

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